「人命尊愛」(じんめいそんあい)神石(和石)

01.碑の所在地と建立年

沖縄県那覇市にある沖縄県護国神社の境内にあります。
1974年(昭和49)に建立されました。

02.建立の趣旨

世界の平和を祈念し、平和世界の建設に努力するための目標として建立されました。
(その意味で「和石」(わせき)と呼びます。またそれが神意の表われとして「神石」(しんせき)とも呼びます)

<人命尊愛>

ひとのいのちの尊さは汲めども尽きぬ宝です。ひとのいのちを尊び愛することを抜きにして平和はあり得ません。人には、いのちある限り、この世においてなすべきことがあります。いのちを尊び愛するとは、自分がなすべきことを誠実になすことであり、また他の人がなすことへの協力でもあります。

人種・国籍・信教によらず

悠久なる平和世界の実現は世界人類の願いです。そのために、人種・国籍・信教によらず団結・協力・融和することを、和石は世界の人々に呼びかけるものです。

03.建立者出居清太郎先生

この和石は、出居清太郎(いでいせいたろう)先生(1899―1983)の主導によって建立されました。先生は、青年時代に関東大震災(1923年)に遭遇し、その惨状を体験する中で、人心の救済と平和世界建設への志を固めました。日中戦争の時期には、戦争反対と軍部批判の言説によって、何度か投獄されました。その後、修養団捧誠会を創設し、人々の救済と指導に、平和世界建設の礎づくりに邁進しました。晩年、あらゆる人・物・事を尊び愛すること(「万霊万物尊愛」)に基づく平和建設運動を提唱し、83歳で逝去するまで、終始一貫、人々の救済と指導に全身全霊を捧げ、平和を希求し続けた生涯を送りました。

04.建立の経緯―山田真山画伯との交流

沖縄県糸満市の摩文仁の丘にある沖縄平和祈念堂に、大きな平和祈念像が安置されています。この像の原型は、沖縄出身の山田真山画伯(1885-1977)が晩年の18年間をかけて、精魂こめて―ついにはほとんど視力を失いながら―制作したものです。1973年(昭和48)11月、沖縄の地で、出居清太郎先生と山田真山画伯は邂逅しました。出会うやいなや、二人の聖者は肝胆相照らし、世界平和への希望と志において深く共鳴し合ったのでした。そして画伯は、平和祈念像完成に向けてはずみをつけ、先生は、沖縄の地における和石建立を発意されたのでした。「人命尊愛」神石(和石)は、多くの有志の熱誠によって、また護国神社の賛同を得て、翌1974年(昭和49)9月22日に除幕しました。

05.出居清太郎先生のことば

  • 人は生きているだけではない、生かされて生きている。
  • その人にとってどんな厳しい道も、神が連れて通ってくださる。ほほえみながら努力しなさい。難有って有難しです。
  • 蒔かぬ種は生えぬ。ナスの種を蒔いて、ウリはならない。
  • 与えられた境遇に不平不満を持っているあいだは、その境遇から卒業できない。境遇に順応しながら、今自分のなすべきことにつとめなさい。
  • すべてのことを、自分の栄養になるように受け取るおけいこをしてください。見ること、聞くこと、すべて教科書です。“カスのようなもの”と思えば何も得られない。
  • 他の人の欠点に気づいたら、それを批判するのではなく、その人の足りないところを足してあげるようにしなさい。
  • 松の木は曲がったままで真っすぐだ。茶ビンのつるは曲がっていても正しくついている。
  • 世界はすべて二つであって一つである。呼吸は吐く息と吸う息と、二つで一つである。どちらか一方に偏ると行き詰る。
  • 包丁には包丁の持ちようがある。正しく持ってはじめて用を足すことができる。心にも持ちようがある。いつもつきたての餅のような心―あたたかく、やわらかく、粘り強く、包容力のある―をもつのが、正しい心の持ち方である。
  • 徳を積めば、必要な時に、必要なものに恵まれます。
  • 何心なく成し遂げよ。

<平和に関する語録>

  • 平和は作られるものではない。生み出されるものだ。
  • 平和というが、平和はただ穏やかな、のどかなさまのみをいうのではない。開拓、建設、改善また改善、これが平和への道である。そこには苦難もある。その苦難を乗り越えてこそ平和というものが見えてくる。
  • 目が覚めたらおはよう、昼はこんにちは、夕べにありがとう、こういう声をかける。平和の原則はそこにある。
  • 世界の平和はわが心にある、わが言語動作にある。一人一人が人格完成に向かって実行していくことが大切である。
  • 一人一人の心から我執、貪欲、嫉妬、怒り、恨みが消え去ってゆけば、おのずから物心ともに健全に恵まれた、平和な世界が現れてくる。
  • 世界平和というとまことに広いことのようであるが、平和の礎は一人一人の心の中に刻み込むものである。一人の心の中に平和が建設されれば、やがて十人の心の中にも平和建設がなされてくる。

06.出居清太郎先生の生涯

人心の救済と平和世界建設への志

先生は1899年(明治32)に現在の栃木県佐野市で農家の三男として生まれました。1923年(大正12)、23歳のときに関東大震災に遭遇し、その惨状を体験する中で、人心の救済と平和世界建設への志を固めました。その後数年間にわたり、東海道を徒歩で行ったり来たりの修行の旅を行い、その間、各地の宗教者を訪ねたり、山中に野宿をして瞑想にふけったり、何度か天啓を受けるなどの宗教体験を重ねました。その後東京の下町で、貧しい人々に施しをし、悩みある人々を救い、人としての生きるべき道を説くなど、物心ともに捧げ尽くす生活を送りました。日中戦争の時期には、戦争反対と軍部批判の言説によって、何度か投獄されました。

修養団捧誠会を創設

1941年(昭和16)に、修養団捧誠会を創設しました(本部は東京・池袋)。それ以後、特に1945年(昭和20)に太平洋戦争が終結してからは会員が急増し、全国各地に支部ができました。そのため席のあたたまる暇なく、各地に巡教し、人々の救済と指導に、平和世界建設の礎づくりに邁進しました。

「万霊万物尊愛」に基づく平和建設運動

その後、平和建設の目標としての碑(和石・神石)を日本各地と海外(アメリカ、中国、ドイツ、オーストラリア、ブラジルに各1基)に合わせて20基ほど建立しました。晩年、あらゆる人・物・事を尊び愛すること(「万霊万物尊愛」)に基づく平和建設運動を提唱し、その拠点となる施設―悠久世界平和郷(神里)―を1977年(昭和52)に、伊豆半島の山中に建設しました。1983年( 昭和58)に83歳で逝去するまで、終始一貫、人々の救済と指導に全身全霊を捧げ、平和を希求し続けた生涯でした。

出居清太郎先生の生涯をまとめた動画はこちら

07.和石・神石は他にも

同じ趣旨の碑が、国の内外に20基ほど建立されています。碑の文字は、建立された時期、場所、契機などによって異なりますが、趣旨は同じです。碑の文字はたとえば、「世界平和」(松山)、「万物尊愛」(静岡)、「平和一神」(因島、岐阜)、「勤労感謝」(北京)、「大自然」(サンフランシスコ)などです。

世界平和
松山
豊道春海書
万物尊愛
静岡
亀井静堂書
平和一神
因島、岐阜
勤労感謝
北京
大自然
サンフランシスコ
豊道春海書
その他和石・神石等一覧

08.お問い合わせ

これらのことについてのお問い合わせ等は、
下記よりご連絡ください。

修養団捧誠会本部
〒170-0011 東京都豊島区池袋本町3丁目11-1
Tel 03-3971-1493 Fax 03-3971-6747
Mail info@hoseikai.or.jp
Web https://www.hoseikai.or.jp/

The Peace Stone

1. Location and year built

 Built in 1974 in the precincts of Okinawa Gokoku Shrine in Naha City, Okinawa Prefecture.

2. Purpose of construction

The monument was erected as a prayer for world peace and a goal to strive to manifest a peaceful world.
The words inscribed on the monument, “jinmei-son-ai,” mean to respect and love human life. Respect and love for human life is the foundation of peace.
As long as we live, each of us has a purpose to contribute to this world.  That is, to respect and love human life means to do what one can do with sincerity and to cooperate with what others do.
The realization of world peace is the desire of all mankind. For this purpose, the Peace Stone calls on the people of the world to be in harmony, unite, and cooperate regardless of race, nationality, or religious beliefs.

3. Teacher  Seitaro Idei

The Peace Stone was erected under the leadership of Seitaro Idei (1899-1983).
In 1923, as a young man, he encountered the Great Earthquake in Tokyo. Through his experience of the devastation, he solidified his aspirations for the salvation of the human spirit and building of a peaceful world. During the Sino-Japanese War, he was imprisoned several times for speaking out against the war and criticizing the military.
After that, he founded the Shūyōdan Hōseikai (Association for Self-cultivation and Sincerity) and devoted himself to building a foundation for the world of peace by helping and guiding people.
Until his death at the age of 83, he continued to devote himself wholeheartedly to helping and guiding others in their quest for peace.

4. Encounter with Shinzan Yamada

A large peace statue is enshrined in the Okinawa Peace Memorial Hall on Mabuni Hill in Itoman City, Okinawa. Shinzan Yamada (1885-1977), a native of Okinawa, spent his last 18 years working on the statue with all his heart and soul, eventually losing most of his eyesight. 
In November 1973, Seitaro Idei and Shinzan Yamada had a fateful encounter in Okinawa.
The two deeply resonated with each other in their hopes and aspirations for world peace.
Yamada completed the Peace Statue, and Idei erected the Peace Stone in Okinawa

5. Other Peace Stones

Twenty Peace Stones have been erected in Japan and abroad for the same purpose.
There is one in the United States, China, Germany, Australia, and Brazil, and the 15 others are located in various parts of Japan, mostly located inside a Shinto shrine or a Buddhist temple. The words on the stones vary according to the time, place, and occasion of their erection, but the purpose is the same – realizing world peace. Words on the monument include, for example, “World Peace” (Matsuyama, Japan), “Respect and Love for All” (Shizuoka, Japan), “Appreciation for Work” (Beijing, China), and “Great Nature” (San Francisco, US).

“人命尊爱”和平之石

1. 建造地点和年份

它位于冲绳县那霸市的冲绳护国神社内。建于 1974 年。

2. 建造目的

该碑是为了祈祷世界和平,并以努力展现和平世界为目标而建立的。碑文“ 人命尊爱”意为尊重和热爱人的生命。尊重和热爱人的生命是和平的基础。人只要活着,在这个世界上就有事情要做。 尊重并热爱生命意味着真诚地做自己应该做的事,并与他人合作。实现世界和平是全人类的共同愿望。为此,和平之石呼吁世界人民不分种族、国籍和宗教,和睦相处、团结合作。

3. 建造者,出居清太郎

和平石是在出居清太郎先生(1899-1983 年)的倡导下建立的。先生年轻时曾遭遇了东京大地震(1923年)。在经历了那场浩劫之后,他更加坚定了拯救人类灵魂和建设和平世界的决心。抗日战争期间,他因公开反对战争和批评军方而多次入狱。
此后,他创立了修养团捧诚会,通过帮助和引导人们,努力为建设和平世界奠定基础。
先生宣扬在每个人心中建立和平是构筑世界和平的基础。 他倡导基于尊重和关爱万物的和平建设运动。直到 83 岁逝世,他一直致力于帮助和指导他人追求和平。

4. 创建和平石的背景–与山田真山的互动

位于冲绳糸满市马布尼山上的冲绳和平纪念馆中供奉着一尊巨大的和平雕像。这尊雕像的原型是出生于冲绳的画家山田真山先生(1885-1977 年)。他在晚年几乎失明的情况下用了18年时间全身心地制作了雕像。
1973 年 11 月,出居清太郎和山田真山在冲绳进行了一次决定性的会面。两人在对世界和平的希望和憧憬上产生了深深的共鸣。随后山田完成了和平雕像,而出居则在冲绳竖起了和平石碑。

5. 其他和平石

在日本国内和国外共竖立了 20 块具有相同目的的和平石。美国、中国、德国、澳大利亚和巴西各有一块,其他和平石分布在日本各地。石碑上的文字根据立碑的时间、地点和场合而异,但目的是相同的。例如,纪念碑上的文字包括 “世界平和(松山)、”万物尊爱”(静冈)、”平和一神”(因島、岐阜)、”勤劳感谢”(北京)和 “大自然”(旧金山)等等。