わたしたちは幸せに、
より良く生きることを目指しています。
そしてそのことを通して、平和の輪を、
社会に、世界に広げたいと思っています。
そのために、出居清太郎(いでいせいたろう)先生の
教えを基にして、ともに学び合っています。
出居清太郎先生の教えから
いつも広いあたたかい、つきたての餅のような心で人に接しなさい。自分で決めた正しさに固執しないで、すべてをええよう(良いよう)に受け取るおけいこをしてください。そして人に喜ばれ、人の役に立つ行いをするように努めなさい。そうしていれば、必要な時に、必要な人・お金・物に自然に恵まれます。それが仕合わせ(幸せ)です。いかなる困難であっても、その人にとって乗り越えられない困難はありません。四方がふさがっていても天はあいています。困難は自分を向上させるチャンスととらえて、明るくほほえみながら努力してください。難有って有難しです。まず自分の心に平和を築き、それを家族やまわりの社会に広げていく、それが世界平和建設運動です。
02.出居清太郎先生の生涯
人心の救済と平和世界建設への志
先生は明治32年(1899)に現在の栃木県佐野市で農家の三男として生まれました。大正12年(1923)、
23歳のときに東京で関東大震災に遭遇し、その惨状を体験する中で、人心の救済と平和世界建設への志を固めました。
その後数年間にわたり、霊峰富士を仰ぎ見ながら、東海道を徒歩で行ったり来たりの修行の旅を行いました。
その間、各地の宗教者を訪ねて問答したり、山中に野宿をして瞑想にふけったり、何度か天啓を受けるなどの宗教体験を重ねました。
その後東京の下町で、貧しい人々に施しをし、悩みある人々を救い、人としての生きるべき道を説くなど、物心ともに捧げ尽くす生活を送りました。
日中戦争の時期には、戦争反対と軍部批判の言説によって、何度か投獄されました。
修養団捧誠会を創設
昭和16年(1941)に、修養団捧誠会を創設しました。(本部は東京・池袋)それ以後、特に昭和20年(1945)に太平洋戦争が終結してからは会員が急増し、全国各地に支部ができました。そのため席のあたたまる暇なく、各地に巡教し、人々の救済と指導に、平和世界建設の礎づくりに邁進しました。
「万霊万物尊愛」に基づく平和建設運動
その後、平和建設の象徴としての碑(和石・神石)を日本各地と海外(アメリカ、中国、ドイツ、オーストラリア、ブラジルに各1基)に合わせて20基ほど建立しました。
晩年、あらゆる人・物・事を尊び愛すること(「万霊万物尊愛」)に基づく世界平和建設運動を提唱し、
その拠点となる施設―悠久世界平和郷(神里)―を昭和52年(1977)に、駿河湾越しに富士山を望む、伊豆半島の山中に建設しました。
昭和58年(1983)に83歳で逝去するまで、終始一貫、人々の救済と指導に全身全霊を捧げ、平和を希求し続けた生涯でした。
出居清太郎先生の生涯をまとめた動画はこちら↓
03.出居清太郎先生の言葉から
くわしくはこちらをご覧ください
修養団捧誠会本部WEBサイトにつながります
冊子になったものもありますのでお問い合わせ下さい。
04.「亜細亜開発」(あじあかいはつ)和石と
「天壌無窮」(てんじょうむきゅう)神石
2つの碑の所在地と建立年
高知市内の五台山の登り口にある、兼山神社の境内にあります。
「亜細亜開発」碑は1971年(昭和46)、「天壌無窮」碑は1983年(昭和58)に建立されました。
建立の趣旨
世界の平和を祈念し、平和な世界建設のために努力することを誓って建立されました。
同じ趣旨の碑が各地にも
同じ趣旨の碑が、国の内外に20基ほど建立され、「和石(わせき)」もしくは「神石(しんせき)」と呼ばれています。
碑の文字は、建立された時期、場所、契機などによって異なりますが、趣旨は同じです。碑の文字はたとえば、「世界平和」(松山)、「万物尊愛」(静岡)、「人命尊愛」(沖縄)、「勤労感謝」(北京)、「大自然」(サンフランシスコ)などです。
「亜細亜開発」碑は「和石」、「天壌無窮」碑は「神石」と呼びます。
豊道春海書
亀井静堂書
亀井静堂書
豊道春海書
碑の建立者出居清太郎先生
これらの碑は、出居清太郎(いでいせいたろう)先生(1899―1983)の主導によって建立されました。
先生は、青年時代に人心救済と平和世界建設の志を立てられ、その活動に生涯をささげられました。
亜細亜開発と天壌無窮の意味
「亜細亜開発」は、世界平和のために、まず身近なアジア地域の人々の繁栄と幸福を祈り、そのために物心両面における親善交流を誓うものです。「天壌無窮」は、宇宙と地球というかけがえのない環境と、そこにある厳然・精妙な秩序とに対する畏敬の念から発しています。
副碑について
「亜細亜開発」和石と「天壌無窮」神石とにはそれぞれ、建碑の由来を記す副碑が添えられています。
これらの副碑文に述べられている、高知県出身の3人の先人、野中兼山、山下奉文(ともゆき)、吉田茂については、
学術的にはさまざまな評価があるでしょうが、副碑文には出居清太郎先生の、3人の魂に対する霊的認識が述べられています。
野中兼山
兼山神社
平和とは
〇 平和とは、物心ともに恵まれて、仲良く暮らすことにあるなり。
〇 平和とは、開発・開拓・開墾である。手をつないで楽しく仲良くするという単純なものではない。
その中に「開発」の苦心がなければ平和とはいえない。
〇 平和の基は、各人の人格完成にある。世界の平和はわが心にある、わが言語動作にある。
〇 平和とは身心ともに健全に恵まれることでしょう。そのためには、神の子の自覚をして借り物を悟って身心を養い、尊い魂を磨き浄めねばなりません。和石・神石はその目標です。さらに申せば、「万霊万物尊愛(ばんれいばんぶつそんあい)」を実行するための目標です。
(出居清太郎先生の言葉から)
05.活動のご案内とお問い合わせ
私たちは幸せに、より良く生きることをめざして努力しています。
毎日の生活で、何を、どう心がけ、実行したらいいかを話し合います。
◇心の広場カフェ(於 高知支部平和郷)
毎週月曜日 11時~14時(原則)
どなたでも参加できます。申込不要、無料です。
◇兼山神社境内、和石・神石の清掃
毎月26日 12時半~13時半(原則)
◇その他 お問い合わせ先
修養団捧誠会高知支部平和郷
〒781-0270 高知市長浜6590-5
桂浜花海道の近く 駐車場あり
Tel&Fax 088-842-4711(火・金休み)
Email houseikai-kochi@wit.ocn.ne.jp
HP https://houseikai-kochishibu.com/
修養団捧誠会高知支部 支部長 野村茂久
Tel 080-3314-4192